大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

高松高等裁判所 平成7年(ラ)33号 決定

抗告人(原審相手方) 山村ハツヨ 外2名

相手方(原審申立人) 笹川明代

主文

一  原審判を次のとおり変更する。

二  抗告人山村太一の寄与分を相続財産(相続開始時の価格4億3,825万0,363円)の20パーセントと定める。

三  抗告人飯田志津子の寄与分を定める処分申立を却下する。

四  被相続人山村新太の別紙遺産目録記載の遺産を次のとおり分割する。

1  抗告人山村ハツヨに別紙遺産目録Iに記載の3及び4の各土地、同目録IIに記載の各建物、同目録IIIに記載の預貯金全部、同目録Vに記載の1、3、5ないし9の各債権を取得させる。

2  抗告人山村太一に同目録Iに記載の1、2、5ないし8、18ないし43の各土地、同目録Vに記載の2の債権を取得させる。

3  抗告人飯田志津子に同目録Iに記載の16及び17の各土地、同目録IVに記載の2の出資持分権、同目録Vに記載の4の債権を取得させる。

4  相手方笹川明代に同目録Iに記載の9ないし15の各土地、同目録IVに記載の1の投資信託を取得させる。

5  抗告人山村太一は、右2の遺産取得の代償として、相手方笹川明代に対し5,575万8,962円を、抗告人飯田志津子に対し237万7,233円を支払え。

6  抗告人山村ハツヨは、右1の遺産取得の代償として、抗告人飯田志津子に対し514万3,230円を支払え。

五  抗告費用はこれを4分し、その3を抗告人らの負担とし、その余を相手方の負担とする。

理由

第一  抗告の趣旨及び理由は別紙のとおりである。

第二  当裁判所の判断

一  相続人及び法定相続分、遺産の範囲、山村家家族歴、特別受益、寄与分(当事者双方の主張の概要)については、原審判3枚目裏12行目の「一部分割を受けた分は」の次に「相続開始時の遺産総額に加えて計算し」を加えるほかは、原審判の「理由」の第一ないし第五に記載のとおりであるからこれを引用する。

二  太一及び志津子の特別受益及び寄与分についての判断

1  前提事情

(1) 前記家族歴で認定したとおり、被相続人は、当時経営不振であった藤村建設を立て直すため、民夫、志津子夫婦を徳島に呼び戻して経営に参画させ、また同様の目的で太一に病院を開業させたものであって、民夫、志津子夫婦と太一は、それなりに安定していた会社勤務あるいは勤務医の生活を捨て、必ずしも本意ではないものの、被相続人の懇願に応えて、以後被相続人の事業に様々な形で関与してきたものである。

本件では、その関与の評価を巡って、抗告人である太一と志津子からは寄与の主張がなされ、相手方である明代からは特別受益の主張がなされているので、順次検討する。

(2) 主張されている寄与あるいは特別受益は、直接被相続人に対するものと、直接は藤村建設に対するものであるが、被相続人に対する寄与あるいは被相続人からの特別受益と評価すべきものとがあり、藤村建設に対するものは寄与あるいは特別受益とすべきかどうか問題であるので、被相続人と藤村建設との関係について検討する。

藤村建設は被相続人が創業した株式会社であって被相続人とは別人格として存在しており、その実質が個人企業とは言いがたい。しかし、被相続人は藤村建設から生活の糧を得ており、自己の資産の殆どを藤村建設の事業資金の借入の担保に供し、被相続人から恒常的に藤村建設に資金援助がなされ、また藤村建設の資金が被相続人に流用されたりしている。これらの事情に照らせば、藤村建設は被相続人の個人企業に近い面もあり、またその経営基盤の主要な部分を被相続人の個人資産に負っていたものであって、被相続人がその個人資産を失えば藤村建設の経営は危機に陥り、他方藤村建設が倒産すれば被相続人は生活の手段を失うばかりでなく、担保に供している個人資産も失うという関係にあり、藤村建設と被相続人とは経済的に極めて密着した関係にあったものである。そうすると、藤村建設の経営状態、被相続人の資産状況、援助と態様等からみて、藤村建設への援助と被相続人の資産の確保との間に明確な関連性がある場合には、被相続人に対する寄与と認める余地があるということができる。

(3) 藤村建設の経営状態と被相続人の資産状況

原審判「理由」第六の一2及び3(原審判14枚目裏13行目冒頭から同15枚目裏12行目末尾まで)に記載のとおりであるからこれを引用する。

(4) 太一及び志津子の援助の態様

原審判「理由」第六の二及び三(原審判16枚目表1行目冒頭から同17枚目裏11行目末尾まで)に記載のとおりであるからこれを引用する。

2  太一の特別受益及び寄与分について

(1) 前記引用のとおり、太一の援助は被控訴人又は藤村建設に対する少なからぬ資金提供であるが、藤村建設は恒常的に赤字を累積させながらも、当面必要な資金を金融機関からの新たな借入あるいは太一からの仮受という形で準備して経営を維持してきたいわば自転車操業状態の会社であり、そのような状態で昭和47年から同63年まで経営を維持していた。

このような藤村建設の状態をもって破産状態の会社ということはいえないとしても、回転資金の提供がなければ経営が行き詰まったことは明らかであって、太一だけではなく被相続人自身も恒常的に資金の援助をしており、その額が太一からの援助資金の額よりも多かったとしても、太一の恒常的な資金援助は、藤村建設の経営を支える働きをしたということができる。

(2) 前記のとおり、被相続人は、昭和58年6月に花川病院の敷地(徳島市○○町×丁目××番×、地積5,890.23平方メートル)を1億6,000万円で太一に買い取って貰い、売買代金のうち1億円を藤村建設に資金提供した。同年は、前年度に4億円余あった完成工事受注高が3,700万円余に極端に減少した年であり、藤村建設が経営危機にあったと認められる時であるから、1億円の資金提供は会社の経営維持にとって重要なものであったということができる。当時、被相続人は自らは多額の資金を準備できない経済状態であったから、太一が土地を買い取ったからこそ、被相続人は1億円もの資金を藤村建設に提供して経営危機を乗り切ることができたのであり、その結果被相続人の個人資産が失われずにすんだということができる。

さらに、その後、被相続人は、花川の宅地部分を県信連に差し押さえられて競売開始決定がなされた。そこで太一は4億2,000万円を県信連に弁済し、その代わりに被相続人から右の土地を譲り受けて3億1,000万円を売買代金とし、残余の1億1,000万円を被相続人に対する貸付としたが、後に被相続人の藤村建設に対する右1億円を含んだ1億1,500万円の貸付金を、太一の藤村建設に対する貸金に振り替えて、被相続人との貸借関係を清算した。

右のとおり、太一は、被相続人に対し5億8,000万円(花川病院敷地の売買代金1億6,000万円及び県信連への弁済金4億2,000万円)の資金を提供し、うち4億7,000万円を土地代金(花川病院敷地1億6,000万円、宅地部分3億1,000万円)として清算し、残余の1億1,000万円を藤村建設に対する貸付金としたことになる。

太一は、多額の借入によって山村整形を開業して間もない時期に、自らは必要でもなくまた望んでもいない花川病院の敷地を購入し、県信連への弁済もしてきたもので、その結果現在も多額の債務を負うに至っている。太一の医師としての社会的信用や病院経営からの利益がなければ、到底このような資金提供は不可能であったと考えられ、このような資金提供は被相続人に対する援助であったと認めるのが相当である。

(3) ところで、右の資金提供に対しては、対価として花川病院の敷地、花川の宅地部分及び藤村建設への債権を太一が取得しており、形式的には太一の援助は無償とはいえないものである。

これについて、太一は、土地の代金は合計4億7,000万円であるが、土地の実際の時価は右金額よりもはるかに低額であったから、その差額分は寄与として評価されるべきであると主張し、明代は、土地の時価は右代金よりもはるかに高額であったから、その差額分は特別受益として評価されるべきであると主張し、それぞれの主張にそった鑑定書が提出されている。これらの鑑定書による評価はあまりにも格差が大きく、鑑定書から花川病院の敷地及び花川の宅地部分について正確な時価を知ることは困難である。なお、昭和58年及び同59年の不動産譲渡の際の土地譲渡に関する明細書によれば、花川病院の敷地及び花川の宅地部分の土地は昭和55年に被相続人が3億円で取得し、造成費として5,000万円を投入して宅地化したものと認められ、これらの土地は、開発許可が下りずに売却できなかったのであるから、付加価値といってもさほど大きなものではなく、地価上昇率とさほど変わりない値上がりがあった程度と推認される。そしてこれらの土地の売却時までの4年間に、6大都市を除く市街地の価格指数は平成2年3月を100とした場合に全用途平均で55.0から69.1になっている((財)○○研究所調)から、その間の価格の上昇率は約25.6パーセントであり、この上昇率を前提とすると、これらの土地の昭和59年の価格は、造成費を加えた3億5,000万円から約25.6パーセント上昇した約4億4,000万円程度であったものとみることができる。

以上からすれば、太一の土地の代金としての資金提供は、その差額分の3,000万円程度について寄与として評価する余地はあるが、特別受益ということはできないことになる。

次に藤村建設に対する1億1,000万円の債権については、昭和63年の決算時に藤村建設の資産は9,744万円余であるのに対し、借入金が9,770万円、仮受金が2億7,741万円であって、利益の計上はなく、累積した損失が3億5,000万円近くにも上っていたことからみて、実質的に1億1,000万円の対価として評価することはできず、債権としての価値は、右資産と債務の割合から考えると最大限にみてもその約28パーセントである3,000万円にも満たないものと、いわざるをえない。そうすると、太一が被相続人に対して資金提供し、藤村建設に対する債権に振替えた1億1,000万円のうち、債権の実質的な価値との差額である8,000万円については、寄与として評価する余地があることになる。

(4) 右のとおり、太一の被相続人に対する資金援助のうち、約1億1,000万円については対価のない無償の援助ということになるが、この金額自体は正確なものではなく、また、藤村建設に対する恒常的な資金援助については金融の利益と利息分が寄与として評価されるべきものであるところ、その額についてはかなり高額であることが窺われるものの正確に算出することが困難である。

他方、太一は、山村整形及び花川病院を開院する際には藤村建設から資金提供を受けたり、病院の開院資金や増設資金を借り入れるについては被相続人の不動産を担保として利用したり、山村整形の敷地である遺産の土地を暫くの間は無償で利用していたという利益も受けている。

このような事情を総合すれば、太一の寄与分については、控えめに評価して遺産全体の20パーセントと認めるのが相当である。

3  志津子の特別受益及び寄与分について

志津子の寄与の主張は、夫の民夫と共に藤村建設のために尽力したというものであり、前記のとおり、両名は被相続人の懇願によってやむなくその経営に参画するようになったものであって、一時期は報酬を受けられなかったこともあり、その経営にはかなりの苦労があったことが認められる。

しかし、志津子としては、抗告審において自らの寄与よりも太一の寄与に付加したものとして評価されることを望んでいるし、同人夫婦は藤村建設の実質的経営者というべき立場にあるので、独自の寄与分としては考慮しない。

なお、志津子の寄与について考慮するとしても、太一の寄与分が大きく変化するとまでは認められないから、同人の寄与分は前記のとおり遺産全体の20パーセントと認めるのが相当である。

三  遺産の評価について

本件遺産の相続時及び分割時の価格は別紙遺産目録に記載のとおりである。

当審においては、遺産である土地のうち、○○町○○字○○△××番×及び同××番×並びに同町△△字○△××番の各土地についての鑑定を行った。その結果、○○△の土地について、相続開始時の評価は3億2,988万8,000円であり、平成8年1月現在の評価は4億3,940万円である。また、○△××番の土地について、相続開始時の評価は309万6,500円であり、平成8年1月現在の評価は343万4,300円である。

遺産であって当審での鑑定の対象以外の土地のうち、○△の他の6筆の土地を含めた○△7筆全体の土地の評価は××番の土地の評価から面積の割合に応じて算出することにし、それ以外の土地についての相続時の評価及び分割時の評価は、特にその後本決定時までに変化したという事情はないから、原審判で採用した宮沢鑑定士の鑑定書の価格によることにし、鑑定のない土地、建物その他の有価証券等については相続時及び分割時に差はないものと認めて原審判のとおりの評価とする。

四  相続分額の算定

ハツヨと志津子は、それぞれ各自の法定相続分のうち4分の3を太一に譲渡している。そこで各自の相続分割合を算出すると別紙計算書4に記載のとおりハツヨは8分の1、太一は3分の2、志津子は24分の1、明代は6分の1となる。

相続時における遺産の総額は、ハツヨと明代が一部分割によって取得した123万0,385円及び55万円を含め別紙遺産目録に記載のとおり4億3,825万0,363円である。

現存する遺産の総合計額は、別紙遺産目録に記載のとおり5億5,026万2,978円であるが、本件ではハツヨがすでに123万0,385円を、明代が55万円を、それぞれ一部分割によって取得しているので、これらを加えた5億5,204万3,363円を分割時の遺産総額とする。

以上を、前提として各自の具体的相続分を算出すると、別紙計算書6に記載のとおり、ハツヨが5,397万3,951円、太一が4億0,481万3,398円、志津子が1,838万3,043円、明代が7,303万7,380円となる(円未満切捨)。なお、各自の具体的相続分額を合計しても遺産の総額と合致しないが、計算上のことであるから最終的な取得額の決定の際に調整する。

五  当裁判所の定める分割方法

1  遺産のうち、土地1及び2は太一が山村整形の敷地として利用しており、30ないし36は花川病院の隣接土地である。土地3及び4は建物1の敷地になっており、建物2のベランダが若干ではあるがこれにかかっている。建物1は被相続人の生前には家族の生活の本拠であったが、現在は誰も居住していない。

建物2はハツヨ名義の土地上に建っている。

2  遺産分割については現物分割が基本であるから、各相続人に対してその希望も考慮してまず現物を分割することにする。

山村整形の敷地である土地1及び2、花川病院の隣接地である土地30ないし36については、太一が取得するのが合理的であり、評価がゼロとされた各土地も道路であったり用水路であったりするので、今後の管理の上からは太一に取得させるのが相当である。

土地3及び4については、ハツヨの所有地である○○町○○字○○×××-×の土地に隣接し、一体として使用するのが合理的であり、また土地4がなくては×××-×の土地は公道に接することのない袋地となることが認められる。そこで、これらの土地は、建物1及び2とともにハツヨに取得させるのが相当である。

残る土地9ないし15、16及び17については志津子と明代に分割することになるが、明代の具体的相続分が多いので、評価の高い9ないし15の土地を取得させることとし、志津子には16及び17の土地を取得させることとする。

3  右の不動産の分割を基礎として、その余の遺産については本件記録上に現れた一切の事情を考慮して、本件遺産を次のとおり分割する。

ハツヨ 土地3及び4、建物1及び2、預貯金全部、債権1、3及び5ないし9

取得額           5,911万7,681円

具体的相続分との差    プラス514万3,730円

太一 土地1、2、5ないし8、18ないし43、債権2

取得額         4億6,297万7,197円

具体的相続分との差  プラス5,816万3,799円

志津子 土地16及び17、有価証券2、債権4

取得額           1,086万7,600円

具体的相続分との差   マイナス751万5,443円

明代 土地9ないし15、有価証券1

取得額           1,730万0,500円

具体的相続分との差 マイナス5,573万6,880円

ハツヨと太一の取得分は具体的相続分よりも多いので、代償として志津子と明代にその差額を支払うことになるが、志津子と明代が具体的相続分との差額を代償金として取得するだけでは、ハツヨと太一が合計5万5,206円を余分に取得することになるので、その半額である2万7,603円は志津子と明代に支払うべき金額である。そこで、遺産の大部分を取得することになる太一にその2万7,603円を負担させることとし、具体的相続分に応じてその20パーセントに当たる5,520円(円未満切捨)を志津子に、その80パーセントに当たる2万2,082円を明代に取得させて調整することとすると、明代には太一から代償金として5,575万8,962円を支払わせ、志津子にはハツヨから514万3,730円を、太一から237万7,233円をそれぞれ支払わせるのが相当である。

なお、抗告人らは、明代の法定相続分相当額について課せられた相続税を太一が立替えているとしてその相殺を主張しており、確かに立替払いの事実が認められる。しかし、相続税は具体的取得額に応じて負担するのが原則であり(本来であれば明代が法定相続分相当額について課せられた相続税を納付し、その後具体的な取得額が決まった段階で修正するとういことになると考えられる)、太一の寄与分が認められることによって、明代の取得する額は法定相続分相当額よりも減少し、したがって負担すべき相続税の額も抗告人らが立替えた額よりも少なくなることが窺われるから、抗告人らの主張する金額で相殺することは正当ではなく、立替金について後日清算することはともかく、本決定で考慮することは相当ではない。

六  結論

以上のとおりであるから、太一の寄与分を認めなかった原審判は失当であるからこれを変更して、家事審判規則19条2項により主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 大石貢二 裁判官 一志泰滋 重吉理美)

抗告の趣旨及び理由〈省略〉

別紙目録〈省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例